今時、詳細は検索すればいくらでも出てくるので、簡単なアウトラインを。
平将門は「平安時代に、自ら新皇を名乗り、勝手に天皇に即位し、935年に討ち取られた人物」です。
勝手に天皇を名乗ってしまったので、その首は当時の朝廷のある京都でさらされました。
首塚に纏わる伝説の原点は、主に、この「さらし首」に関わるものと言えます。
その前に1つ。実は首は京都でさらされなかったと言う伝説として愛知県の丹八山公園のものがあ
ります。京に運ばれる途中で、この公園で現れて埋葬されたということで、首塚もあります。
丹八山公園が大きく取り上げられることがない理由として、実はこの公園、桃太郎、信長、秀吉等々、あらゆる出来事の記念の地としての碑文がそこら中に・・・・。
さて、切断され現在の京都市下京区の京都神田明神の祠の場所に運ばれた将門の首。
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さらし首の図 |
さらし首の間は
・何ヶ月もさらされているのに腐ることがない
・夜な夜な唸り続けた。喋った。
その後大きく3つに伝説は別れます。
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首塚の図 |
・歌人、藤六左近の「こめかみよりぞ 斬られける 俵藤太が はかりごとにて」という歌を聞き朽ち果てた。(この歌、丹八山の碑文にもあります)
・関東へ向かって、生首が飛び去った。この飛んでいった首が着地した場所が、東京、大手町にある「将門の首塚」であるというわけです。また、首は途中で射落とされたという伝説もあります。落とされた話は、岐阜県大垣市にある御首神社あたりが代表格だと思います。
・首は関東に持ち去られ、その他の遺品などと一緒に祀られた。
実際、昭和20年の戦災で消失するまでは、東京都千代田区にある築土神社に、その首が収められていたとされる首桶や将門の毛髪の一部が残っていたとされ、写真も残っています。
また、将門を祀る同じ千代田区の神田明神でも、神社の近くに首は埋葬されたとされています。
いずれの神社も、現在の首塚のある千代田区内というところが、興味深いですね。
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